「AIG高校生外交官プログラム」を知っていますか?
目次
未来ある学生を「High School Diplomat(高校生外交官)」としてアメリカから日本へ(HSD Japan/日本プログラム)、日本からアメリカへ(HSD U.S/渡米プログラム)招待し、日米双方の高校生が様々な交流を通して異文化を学び、将来の国際的リーダーとして羽ばたける土壌を作る社会貢献事業です。
HSD Japan/日本プログラムは、毎年夏休み期間中の約2週間、米国の高校生が高校生外交官として日本に派遣され、日本で同数の日本の高校生と共同生活を行います。
昨年はコロナ下でアメリカの高校生の来日が難しかったこともあり、日本の高校生に向けて「AIG高校生外交官特別プログラム」をオンラインでの開催となりましたが、今年は3年ぶりに16名のアメリカの高校生が来日。全国から選抜された20名の学生とともに様々な活動を行いました。
今回、プログラムの一部の取材をすることができました。
今回、取材したZoomでの開催となったプログラムは「広島市在住被爆者、小倉桂子さんによる英語での体験講話と日米の高校生との平和ディスカッション」です。
小倉さんは、当時の貴重な写真や体験に基づく油絵などを交えながら、全て英語でお話になりました。英語で直接聞く原爆被災体験談は、アメリカの高校生にもインパクトを残したのではないでしょうか。
小倉桂子さんプロフィール
1937年(昭和12年)生まれ。小学校2年生だった8歳のとき、爆心地から2.4km離れた自宅近くで被爆。広島平和記念資料館の委託を受け、2011年(平成23年)から証言活動を開始。被爆の事実を広島の人が自ら英語で世界に語り継ぐ取り組みをしている。
被爆当時、小倉さんは8歳、小学2年生でした。
原爆が落とされる前から爆弾はたびたび落とされており、その都度泣きながらシェルターに逃げる日が続いていたこと。爆撃が収まって外に出てみると、あたり一帯が焼け野原になっており、恐怖を感じる日もあったこと。
原爆が落とされる前日は、何度も警報が出されており、不審に思った父親から学校に行かない方がいいと言われて休んだところ、原爆が落ちたこと。小倉さんは、爆発の中心地から2.4km離れた自宅近くの路上で被爆したこと。
学校は焼け落ち、友達も多く亡くなったこと。
ゾンビのようになった助けを求める多くの人たちが神社に集まり、兵隊さんが手当てをしていたり、中には助けを求めて小倉さんの家の中に入ってくる人もいたこと。
原爆投下の次の日あちらこちらで煙が上がっていたが、それは亡くなった人たちを燃やしていたためだったこと。
などが生々しい油絵や写真を使って、淡々と語られました。
終戦後、徐々に広島の街の復興は進みましたが、世界では水爆の開発が進められており、1957年に初の原爆被爆者の会ができました。
当時原爆や水爆を多くの国が保持していて、小倉さんはそれに対してなにができるかということを考えて生きてきたそうです。
現在、原爆を原因として亡くなった約32万人もの方々の名前が広島の平和記念公園のモニュメントに記載されており、そこにはもう二度とこのような悲劇を起こさないようにという想いがこめられていること。
そして、二度と同じ悲劇を繰り返さないように、これから平和な世界を作っていってほしいと高校生に語りかけ、話を終えました。
その後、日米の高校生に質疑応答の時間が設けられました。
”アメリカ人が憎いですか?“と聞いてくる方もいます。私自身は、原爆そのものと原爆を投下することを決断したリーダーのことは憎んでいますが、アメリカ人が憎いという感情はありません。中には、涙を流しながら、”ごめんなさい”と声をかけてくれる方や、”そんなことが実際に起こっていたなんて知りませんでした”と伝えてくれる方もいました。
原爆を使わない、落とさないようにすることは、アメリカ人も含め、すべての人の命を守ることにもつながります。原爆はその場で命を落としてしまう人がいるだけではなく、被爆をしたことで放射線による健康被害の後遺症で悩まれている方もいらっしゃいますし、街自体も放射線被害を受けてしまいます。
私は、絶対に原爆を使ってはいけないと考えていますし、今後もし世界のリーダーたちが原爆を使おうとした際には、あなたたちには何とかしてリーダーたちを止めるよう、考えて行動してほしいと願っています。
昔NYに行った時に、ベトナム戦争を経験した兵士の方とお話したことがあります。その中には、わたしたちが安全でいるためには原爆が必要、原爆があれば他の国の人たちをコントロールすることもできるので安全を保てる、といった考えを持っている人もいました。
私は、原爆を保持することで、安全や平和を維持するという考えには賛同していません。
原爆を持たずに平和を保つためには、私たちは同じ一つの世界に生きる一人ひとりであるということを認識して
・お互いを知ること
・話すこと
・私たちにはなにができるのかと考えて学び続けること
この3つのステップが必要になってくると考えています。
アメリカを訪れて被爆のお話をした時に困惑したことがあります。それは「原爆を落としたから戦争が終結した」という考えについてです。
広島に原爆を落としたあと、長崎に広島とは異なる原爆を落としてその威力を実験したように、戦争をすると人々は恐ろしいことに感覚が狂ってきてしまいます。
もし仮に日本が原爆をもっていたら、アメリカに対して使ってしまっていたかもしれません。原爆を落としたから戦争を止められたというのは、結果論にすぎません。
原爆を使うのを話すことでやめるのではなく、”そもそも原爆を保持しない”ということが大事だと私は考えています。
アメリカの高校生からは、
「知識だけではなく、来日して、色々な景色を見て、実際に日本の文化を感じること、異文化交流を通じてそれぞれの文化を知ると違うものがある。ありがとう」
日本の生徒からは
「貴重な経験をお話していただきありがとうございました。私たちの役割は、小倉さんのような被爆者の方の経験を、これからの世代に伝えていくことだと思います」
といったコメントが寄せられました。
「今もまだ世界では実際に戦争が行われています。このような惨事が二度と起こることがないように、平和のために私たちに何ができるのか、考えて行動していく必要があると考えています」とMCの言葉で、今回のプログラムは終了となりました。
2022プログラムでは、今回ご紹介した広島市在住被爆者の英語での体験講話、平和ディスカッションのほか、日米の高校生による平和や社会問題についてのプレゼンテーションやディスカッションや、京都で日本の歴史や文化を体験するショートトリップなどが実施されました。
ココフル読者の子ども達はまだ小さいと思いますが、戦争が今も続いている中、親である私たちも常に考え行動すること。そして、異なる文化の人たちと交流をしていくことが私たちの子どもたちを守ることにもつながるのだなと感じました。(取材・文/ココフル編集部)
【AIG高校生外交官プログラム(HSD Japan/日本プログラム)2022プログラム概要】
実施期間:2022年7月21日(木)~8月1日(月)