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カルチャー

【伝統】新富座こども歌舞伎の楽しみ方 その1

2014.05.29

「隅から隅までずずずいーっと!」 こども歌舞伎に拍手喝采!

江戸歌舞伎発祥の地である東京都中央区。
今なお歌舞伎座や新橋演舞場などが軒を連ねる歌舞伎の街は、
江戸時代から明治まで歌舞伎のかかる芝居小屋が数多くありました。

そのなかで東京イチと言われた「新富座」は、
新富2丁目に実在していた小劇場の名前です。
銀座から歩いてすぐのロケーションながら、
現在でも新富町は横道に入ると三味線の音が聞こえてくるような下町情緒が残る街。
また歌舞伎に関わる会社や職人さんが多く集まる土地柄でもあります。
「新富座」は今こそ税務署になってしまいましたが、
その文化と心意気は継承していきたいと
中央区在住(または通学)の子どもたちによる
歌舞伎の会「新富座こども歌舞伎」一座が立ち上がったのは、2007年のことです。

kazukiza_1(c)焼田健
▲新富座こども歌舞伎オールスター。リニューアル前の歌舞伎座前にて。

代表の諸河文子さんは、
「私が子どもの頃は、節分の時に神社の神楽殿で芸能を観て、
三味線や邦楽に自然と触れる機会がたくさんありました。
伝統芸能の宝庫であり歌舞伎のお膝元である中央区の子どもたちが、
日本の上質な文化に触れないのは寂しいと思っていました」
そんな時に出会ったのが滋賀県長浜のこども歌舞伎。
「見た瞬間に“これだ!これを新富町でやろう!”と閃いたといいます。

そこからの諸河さんの奮闘が始まりました。
近隣の小学校や町会にも声をかけ、
自身が養成所で学んだ所縁ある前進座の俳優や鳴り物のお師匠さんが
直接指導にも来てくれることにもなりました。

公演に使用する鬘は、ご近所でもあり明治座や演舞場にも利用されている
「大澤かつら」さん。衣装は今でこそ自前の衣装ですが、
当時はこれまたご近所の松竹衣装から借りるという、まさにご近所付き合い。
「当初は子どもが集まらず、知人に声をかけてもらったりと苦労したこともあった」といいます。
でも現在は1年生から6年生まで常時20名以上の子どもが集まり、
仲良く稽古に励んでいます。

siranami5507_mitsukoshi(c)焼田健
▲日本橋三越の天女像前で堂々と白浪五人男を披露。

2月と5月、年2回の鐵砲洲稲荷神社の神楽殿での主催公演がメインですが、
銀座まつりや区のイベントなどにも引く手あまたな新富座こども歌舞伎一座。
演目は場所や季節によって様々ですが、その持ちネタをご紹介しましょう。

まずは天下泰平・五穀豊穣を祈るおめでたい舞踊『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』。リズミカルな義太夫に合わせて地中に潜む悪霊を払うための足を踏み鳴らす仕草や、
種まきの動きを思い起こさせる鈴の舞など、
小首をかしげながら子どもたちが舞いを披露します。
幕開きを飾るこの舞踊に、会場からは思わず「可愛い~」と声があがります。
ボリュームのあるこの衣装は実はとっても重いもの!
踊り手の子どもたちは、その重さをもろともせず、
時には飛んだり跳ねたりしながら頑張っています。

sanbasou(c)焼田健
▲可憐な三番叟の舞は、まるでお人形さんのよう。

続いて、第1回目の公演からずっと演じられ続けているのは
「ほんに今夜は節分か」「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」の名台詞で有名な
『三人吉三巴白浪 大川端庚申塚の場』です。
これは2月の節分公演の際には必ず上演され、会場を盛り上げます。

お譲吉三、お坊吉三、和尚吉三、偶然同じ「吉三郎」という名前の3人の盗賊が登場。
お嬢吉三が奪った百両を巡ってお坊吉三と争い、
仲裁に入った和尚吉三は身体を張って2人を止めます。
その心意気に心を打たれたお嬢とお坊は、和尚の弟分として
最後は義兄弟の契りを結ぶというお話。
お嬢とお坊のバッタバッタの立ち回りも清々しく、「待ちなせぇ」と2人を止める和尚の男らしさも際立つ作品です。

(取材・文:元井朋子、写真:焼田健)

その2に続きます。
その2では、「義経千本桜」や「白浪五人男」などの演目紹介や、鳴り物についてお話をしていきます。

 

 

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